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2006年06月30日

知恵が湧かないのは夢が無いから。


知恵は平等に持っている。

知恵は無限に湧く。湧かないのは「夢、ビジョン、目的、欲」のなさであると思う。

「夢、欲」のない人などこの世には生きていない。

本気になって絞りだそうとしないからだ。

自らの中にある無限の力を信じよう。
何としてこの手、身体で掴み取ると覚悟すれば、

自らに、無尽蔵の力が湧きで、遺伝子がスイッチオンとなる。

投稿者 ohata : 21:56 | コメント (0)

夢と希望を与え「理念にそむかない経営方針」


月曜日には、休みを返上して、本社で次年度に向けての、会議を開催いたします。

休日出勤となりますが、参加をお願いしている社員の皆様は、ご協力下さい。

また参加されない社員の皆様、夢と希望、働きがい、頑張って、勤め在籍していただいている人が。

頑張って勤めた事が報われるような、方針を伝えておきますので楽しみにしておいて下さい。

投稿者 ohata : 21:55 | コメント (0)

「第5回 「理念と経営」経営者の会 議事録


第5回 「理念と経営」経営者の会 議事録
作成者 馬場 弘一郎

 日時 平成18年6月27日(火曜日)19時〜
 場所 宇治黄檗「広岡谷山荘」

 出席者 潟с}サン 大秦  日庭 久世  汐瀬税理士事務所 汐瀬
 潟~オシステム 平野  京栄自動車工業梶@馬場  富岡工務店 富岡

 設問1 6月号を読んで、今の自分の心境から一番印象に残った記事は何ですか?
 経営者・幹部として心に響いたこと、学んだことを自由に発表してください。

・ 武澤社長の会社再建は感動した。
・ TJ天気予報様の記事を読んで、経営者は職人から脱皮しなければならないことを学んだ。
・ 経営者に1番必要なのは知恵ではないであろうか・・・?
       同時に補佐役に経営できる者を持たねばならない。
・ 従業員に対する躾は親心で取り組まねばならない。

 設問2 木野親之先生と神蔵孝之先生の対談で
      「生涯で3度生まれ変わった松下創業者」とありますが、
      貴方はこの言葉をどのように解釈されますか?
      人間の可能性と同時に、困難を前にしての大転換ですが、貴方の転換期はいつでしたか?
・     独立時が人生の転換期だったと思う。
・     案外、全員平凡にこなせた人生を歩んで来たような気がする。
・     海外出張時に日本を見た時
・     正に今、この先5年後10年後のための転換期
・     サラリーマンを辞めたとき、開業したとき、転業したとき。転換期は常にやってくる、
      普段の心がけで転換期かそうでないかは変わる。
・     天命に出会えたか?出会えてないか?宿命の中で生きている中で、
      運命を切り拓いてこれが天命かなと気付く。死期でないと天命はわからない。

(明日に続く)

投稿者 ohata : 21:25 | コメント (0)

「企業の社会的使命三つの柱」2006年6月30日


===================松下幸之助翁経営の道  松下資料館より=============
「企業の社会的使命三つの柱」2006年6月30日

3)企業の活動は社会と調和したものでなければならない

経営にいたしましても、進歩を遂げねばいかん、
同時に経営と経営の間、経営と政治の間、社会生活との間にね、
経営が調和しなくてはならない。

調和のないところにですね、何が起こるかといえば、
混乱が起こる、不信感が起こってくると、
そこから物を失うということになるだろうと思うんです。

企業は、多くの関わりの中で活動しなければなりません。
直接に関わる得意先や仕入先はもとより、

自社を構成する従業員、労働組合、あるいは地域社会、
さらには国家や諸外国など、
色々な関係先との調和を保ちつつ活動を行っていくことも、
企業の重要な社会的責任であると松下幸之助は述べています。

ここに言う調和とは、単なる調和ではなく、
お互いが独立性、主体性を保ちつつ、
より大きな立場で強調していくということであり、
真の意味での共存共栄に通ずるものです。
                    (明日に続く)

投稿者 ohata : 21:02 | コメント (0)

経営研究会の組織づくり。


今日は、朝から、琉球経営研究会の与那国会長と電話で話した。

次年度の各種委員会をお任せする、委員長さんについて、私なりの意見を申し上げた。

どのような組織であれ、会長職を勤め上げる事は並大抵のことではない。

自分の仕事の時間を割いて、心配りしなければならないし、時には強烈な指導力を発揮しなければ

ならないし、一人で決断を下さなければならないときも多々あると思う。

やはり、自分の事業のをさて置いてのお役目は大変と思う。

それが為には、十二分に未来を想定して人事は決定しなければならないと思う。

組織には、企業の大小、年齢の差、事ほど色々な違いがある、共に栄える為に、共に学べる

組織づくりを第一に考えていただきたいと思う。

投稿者 ohata : 20:09 | コメント (0)

2006年06月29日

目的を持ち一生懸命が大事。


一生懸命にやっています、と口で言うのはたやすい。

井の中蛙レベルの一生懸命と、大海に出ての一生懸命には大きな差がある。

目的、目標、大欲、大志を持っている人と、自分との間には随分と勘違いがあることを知るべし。

一生懸命努力し成果を上げてこそ、始めて、評価、対価は得られる。

目的、目標を持ちった一生懸命でなければ技術、能力、知識も身につかない。

一生懸命に満足してはいけない。

投稿者 ohata : 21:55 | コメント (0)

「企業の社会的使命三つの柱」 2006年6月29日


=====================松下幸之助翁経営の道  松下資料館より===========
「企業の社会的使命三つの柱」 2006年6月29日

二) 適正利潤を確保すること

企業には適正な利潤を、確保する義務があると私は思うのです。
その適正な利潤を確保することによって、社会性を帯びてくると思うのです。

適正な利潤ですからね、まあその利潤の半分は国家への税金となりましょうし。
それはあるいは施設として利用されるとか、
あるいは社会保障として与えられるとかあるいはその他、
いろんな国家施策に使われるわけです。

それによって全国民がそれぞれ恩恵に浴するわけであります。
そうでありますから、利潤を確保し、その半分近いものを
国家に納付せんならん、という義務を我々は負わされているわけです。

だから私的に暴利を追求することは、これは許されない。

これは排撃せないといけませんけれども、適正な利潤を確保し、
そしてそこから社会性というものが高まっていく
もんだというような解釈というものが、
今日、非常に大事になってきたと私は思うんであります。

企業の利益とは、本来、その活動を通じて社会へ貢献した結果、
その報酬として得られるものである。
これは松下幸之助の体験から生まれた信念でした。

つまり、利潤の多寡は社会への貢献の度合いに応ずるということになります。
ですから、適正な利潤が確保できないということは、
その企業の社会への貢献が足りないということです。

また、企業の利益が上がらなければ、国家に法人税を納めることも出来なくなり、教育や福祉などの国策にも支障をきたす結果となります。
企業自身にとっても、新たな設備や研究開発も十分にできず、
企業本来の使命を力強く果たすことが出来なくなるというわけです。
                    (明日に続く)

投稿者 ohata : 21:02 | コメント (0)

2006年06月28日

任せて、任さず。


任された人、任す人、託してくれた人に、キチット報告、連絡、相談、確認、をする。

報告、連絡、相談、確認を行わないから、上司、先輩はイチイチ口うるさい。

それでは任すに足りない人になる。

何故なら会社の大事な「人、物、金、信用」預かっているのだから。

任せることが出来ないのであるなら、上司自らが報告を求めなければならない。

お互いに、任せ、任せられる人財を目指しましょう。

ビジョン達成の為にも、一人ひとりの自覚が第一です。

投稿者 ohata : 21:54 | コメント (0)

「企業の社会的使命の三つの柱」2006年6月28日

===============松下幸之助翁経営の道  松下資料館より=================
「企業の社会的使命の三つの柱」2006年6月28日

(1)企業本来の事業(本業)を通じて、
社会生活の向上と人々の幸せに貢献していくこと。

企業の社会的責任とはどういうものかについて、
私なりに考えます一念を申しますと、企業というものの責任というものは、
何と申しましても、企業には企業としての使命があると、
その使命を遂行するということが、社会的責任を果たすまず第一やと思うんです。

その社会的使命というものを果たしておる過程に、あるいは公害が生まれるとか、
そういうものが出てきて、色々社会に迷惑をかけるということは、
これは責任を問われることはもちろんあってしかるべきやと思うんです。

しかし、何んと言いましても、企業本来の目的を達成しないと、
企業本来の仕事が遂行できないと、できてもそれが不十分であると、
いうことについては、いちばん社会的責任を問わねばならんと、いうことであります。

松下幸之助は、人々に利便をもたらす電気製品をより豊富に、
より廉価に世に普及させ、
生活文化を向上させることが自社の最大の使命と考えてきました。
本来、企業が行う事業は、社会的に意味があるものでなければ成り立つものでなく、
その事業を通じて社会に奉仕貢献していくところに企業の最も重要な
「社会的責任」がある。と松下幸之助は語っている。
(明日に続く)

投稿者 ohata : 21:01 | コメント (0)

今こそネットの時代到来。

先日、ネットビジネスの勉強会に参加してきました。

講師は、辛さん、小園さん、松岡さんでした。

田舞塾の友、新進気鋭の若き起業家卒業生東京経営研究会の同志であった。

みんな気心が解っている、よき仲間、同志であった。

小園さんは、ネットの玄関、店舗づくりのスペシャリスト。

松岡さんは、ウエブ店舗への道先案内のスペシャリスト。

辛さんは、CRMシステムと個人情報保護のスペシャリスト。

三名の見事なコラボレーションであった。

しかも、コンサルが仕事でなく、現実の商売でも成功しておられる。

これほど信用、信頼できる事はない、松岡さんは、ネットを活用して、事務用品ビジネス

で年商10億を僅か三年で達成している、辛さんはネットで名だたる大手企業と取引に

結びつけた実績がある。小園さんは、社員さんを雇用し立派な経営者にならんとしている。

誠に尊敬するし、見らなわなければならない。

我社も早速、ネットビジネスに関する依頼をした。ネットも素直な心で、素直に実践すれば、

必ず成功するようになっている事を気付かされた。

我々、田舞塾経営研究会でも、学びの同志には快く、安価な費用で、セミナー、コンサル

を行っていただけるとの事、一見の価値あり。

以下は当日のセミナーの様子です。

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投稿者 ohata : 19:58 | コメント (0)

何としても成し遂げる。


何としても、経営理念、ビジョンを達成するぞと、今日も朝礼で社員さんの前で宣言する。

当社は「こだわりの美味伝承を通じ豊かなライフスタイルを創造する。」である。

数値ビジョンは300億円の売上、経常利益30億円である。

僅か10億足らずしか販売していない会社が、何が300億円かと、他人は笑うであろう。

笑うものは笑え、どんな事があっても、定性、定量ビジョンを実現しなければ、天命に背くことになる。

何の為に300億円の販売するのだと他人は言うけれど、私には天より課せられた使命があると感じる。

日本の伝統文化、技術を後世に残す為には、誰かが販売を通じ、

資本力、販売力を持ち合わせていなくて、古式製造しか出来ないメーカを守らねはならぬ。

そんな男の美学は通用しない世の中かもしれないが、その任務を生命あるかぎり、やってみたい。

投稿者 ohata : 19:58 | コメント (0)

2006年06月27日

ビジョンを持ち現実に立ち向かおう。


一年後、三年後、そして十年後に、自分の仕事をどうするのか、

自分はどうなっていたいのか、明確な目標を立てよう。

そしてその実現のために、明日に続く今日をいかに動き、

何をなすべきかを考え、それを怠りなくなしていこう。

そうした着実な積み重ねがあってこそ、将来の確かな成果がもたらされる。

投稿者 ohata : 21:54 | コメント (0)

自分の為の仕事と覚悟する。


「理念と経営」
世の為、人の為、社会貢献、奉仕の心を持ちなさいとよく云われるし、良く聞くフレーズである。

本当にそんな素晴らしい心構えが、人間持てるものかと、フト、考える時がある。

我社では会社の為に働く、会社の役に立ちますと云う言葉もあまり使わせないようにしている。

また家族の為に頑張りますは主として当然の事である、あまり感心しない言葉であると私は思う。

やはり「二度と無い、自分の生命、人生」である。

自分の為に働く事が一番と思う。それは、家族、会社、お客様、取引先様、親、兄弟、御先祖様、

多くの皆様が喜んでくれる顔を見て、喜べる自分の為に、頑張って仕事をする事に尽きると思う。

永いか短いか解らない一生の中で、艱難辛苦、歓喜はつきものである。

厳しい、苦しい、困り事、逃避したい心境の時でも、他人を怨んだり、責めたり、求めたりする心が、

チョツトでも芽生えないように、絶えず自らの為の仕事であると心しておきたいと思う。

投稿者 ohata : 21:24 | コメント (0)

「経営の要諦」 2006年6月27日

==============松下幸之助翁経営の道  松下資料館資料================
「経営の要諦」 2006年6月27日

大正七年三月、松下幸之助翁は、
夫人とその弟(井植歳男氏、三洋電機創業者)との三人で、
電気器具の製造販売を行うささやかな会社を興しました。

学問もなく、資金も乏しく、頼る人もなく、病気がちで健康にも恵まれないという、ないない尽くしの船出でした。
その会社が、数十年を経て、世界的な大企業にまで成長発展してきました。
その発展の要因は一体どこにあったのでしょうか。

松下幸之助自身、事業を進める過程で考え身につけてきた繁栄の原理ともいえる経営観をさまざまな機会に話し書いてきています。
その要諦は、「経営理念の確立」ということに集約されるでしょう。

経営理念の大切さ及び企業の社会的使命についての松下幸之助の考え方と、
具体的な経営実践の中で特に大切にしてきたのは次の三つの点です。
1)自主経営   2)衆知経営  3)健全経営

「経営理念」 経営理念の確立
松下幸之助は、
みずからの半世紀以上にわたる企業経営の体験から得た信念として、
「事業経営を進めるうえでいちばん根本になるのは、経営理念を確立することである。」と言っています。
経営理念とは、「この会社は何のために存在しているのか、
また、この経営をどういう目的で、どのようなやり方で行っていくのか」
ということについての基本の考え方です。
そして、正しい経営理念が根底にあってこそ、力強い経営が可能になり、
人や技術や資金といった経営に不可欠な要素が真に生かされることになる。
いわば経営に魂が入ることになる、というのです。

「経営理念」 企業の社会的使命とは何か
企業の社会的使命といえば、
メセナやフィランソロピーといった言葉を思い浮かべる人も多いようですが、
企業の社会的使命とははたしてそれだけでしょうか。
松下幸之助は早くからこの問題を考え、
「企業の存在自体が社会的なものである、いわば企業は社会の公器であり、
経営者はその自覚をもたねばならない」と機会あるごとに訴えてきました。
松下幸之助の考える社会的使命とは、その内容を大別すると
@ 本業を通じての社会への貢献
A 適正利潤の確保
B 社会との調和

(明日に続く)

投稿者 ohata : 21:00 | コメント (0)

後継者の身につける事。


今日出勤途中、車の中でフト気づいた事がある。

後継者に何の仕事をさせ、何を学ばせ、どのように養成すれば良いかと考えて見た。

一番大事なことは、大局的に物事が見られるような人間にする事が一番大事と思った。

何か一つの事のスペシャリストにする事ではなく、見聞、見識を先ずは広め、そして

年月を費やして、深め、人間としての度量、器を高める事に尽きるのではないかと思った。

その為に色々な持ち場を体験させ、社員さんの心模様を知らしめる事が何より大事と思う。

投稿者 ohata : 19:57 | コメント (0)

2006年06月26日

人間としての器。


人間悔いの無い一生を生きるためには心の広さと、深さ、厚みがひつようである。毎日の体験、経験は点の知識である、点と点を結べば面になる。面だけの人間では知識があるだけの学者か評論家。我々は現場の人間、何事に対しても、何故、何故と自問自答して、見聞を広め、深める事、そうすれば度量が出来て器となる。人間として、大きな器となろうと、自らが断を下そう。

投稿者 ohata : 21:54 | コメント (0)

この国は一体、全体どうなるの。


「理念と経営」
昨今、社会で起こる問題、事件、色々あるが、私の考え方は、戦後の日本の復興の過程に大きな起因があるのでは無いかとおもう。ホリエモン、村上ファンド、青少年の事件、どれ一つ取ってみても、全ては
人間としての倫理、人間社会の一員としての道徳観、全てはそこに原因があると思われる。
私は団塊世代、我々の少年、青年のころは、中学校を卒業して、丁稚、工員になる友が多くいた、又高校を出たとしても、ほとんどが就職した。親元から離れ、独立、自立が求められた、だから親に云われた事を忠実に守り、「石の上にも三年」会社、上司に認められるように必死に働いた、残業時間もなんのその、只、直向に仕事をした。家を買う、子供の養育、世間並みの家庭を気付く為に働いた、言うなれば金銭を稼がなければ為らなかった。親元から離れているがゆえに、ある一面自由であったのも事実である。
結果として、労働人口も消費人口も多く、国の産業は栄え、世界で二番目の経済大国となった。
しかし、自由放任の面があったことも事実、だから、都会は田舎社会と違い、日本古来のしきたり文化、隣近所との付き合い方が疎んじられた。また時間、金銭面な問題も絡み、祖父母、両親、御先祖に対する関わりも少なくなり、心で崇拝するものもなくなり、叱ってくれる人もなくし、叱られる事をキライ、自主、自由、我がままを勝ち取って生きてきた、そんな両親から育った子供には、心の悩みを聞いてくれる、相談に乗ってくれる人はいない、倫理、道徳より、物価第一、日本の戦後復興の歪みが露呈しているように思われる、いま一度豊かな国であるがゆえに、倫理、道徳、徳育教育に国として方針転換を図らねば成らないのでは無いかと思う。年金問題でも、何か貯金の如く、いくら年収が多くても、年齢に達すれば
納めた分だけは、貰わねば損と、損得勘定にはしる、国民意識、年金は福祉、貯金どちらか、さっぱり解らない。困った国になったものだ。

投稿者 ohata : 21:24 | コメント (0)

「経営とは」2006年6月26日

==========松下幸之助翁経営の道  松下資料館資料から================
「経営とは」2006年6月26日

経営に携わる人々は、その道程で遭遇する困難や成功の体験から、
独自の哲学や方針を編み出していくのかもしれません。
松下幸之助も様々な事業体験から、経営についてこう語っています。

人格がすぐれ、学問があり、知識があり、いろんな点が備わっていると、

一点非の打ち所がないと、そういう人であっても、
経営者として成功するかというとね、私は、それは成功しない。

経営のコツとでも言いますか、そういうものをつかめない人は、
これはダメだと思う、実際ね。

だから、やはりその経営のコツというものは、
非常に私は難しいものやないかと思うのです。

これは口では言えない。口で言えないあるものがあるのやないかと。

それはやはり自分で悟らにゃいかんと。
学問はですね、教える先生もあるから、
努力することによって、ある程度は成り立つと。

しかし経営というものはね、これはチョツト、
そういう知識とかいうものと違うと私は思う。

言うに言われない一つのツボがあるのやないかと思います。
そのツボがね、悟れなくちゃならない。
       (明日に続く)

投稿者 ohata : 21:00 | コメント (0)

今日は一日雨。

今日は一日雨の中、草採り、花木の手入れをした。

雨が降れば、植物は、水を得た魚の如く、伸び放題

朝顔は、隣の花、木に蔓を伸ばし、全くと言っていいほど遠慮知らずである。

また隣の木々も、迷惑顔もせず、人の良い事この上ない。

自由、伸び伸びも良いが、ルール、道徳というものが、この世には存在する。

昨今は、倫理、道徳というものを無視した、自然児が経営者のも多すぎるのでは

無いかと思う。そこで必要なのが、「理念と経営」を学ぶことではないだろうか。

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投稿者 ohata : 19:55 | コメント (0)

2006年06月24日

信ずれば救われる。


「御先祖、両親、兄弟、幼馴染、学友、同志、」皆が、貴方、私の心豊かな、人生を

願ってくれているはず、ならば、豊かにならずして、何と応える。

豊かさは、自らが掴み取る気概があれば、必ず、天は、世間は応援してくれるように

なっていると信じよう。信じるものがなければ、人は心が定まらない、信ずる物事を持とう。

投稿者 ohata : 21:54 | コメント (0)

「道は無限にある」

=====================松下幸之助翁経営の道  松下資料館===============
「道は無限にある。」2006年6月24日

行く道はいくらでも無限に開かれているということであります。
皆さんの心さえ、自ら開拓する心持になれば、行く道は無限にひらかれておる。
師は無数に存在しておるということであります。
手近に親切な先輩がいて導いてくださることも結構であり、
そういう人は非常に恵まれた人であるが、そういうような人を持たない人もまた、
極めて恵まれた人である。
何もないということがかえって大きな力となって、
そこに偉大な自己というものを完成していくことも、私は可能だろうと思います。
その可能なる道あることを知ったならば、無限だと申していいと思うのであります。
(月曜日に続く)

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宇治川の風景です。

投稿者 ohata : 20:54 | コメント (0)

ビジョンは必ず叶うもの。


今日は天気晴朗、心穏やかなあさである。

社員さんに、給料明細をお一人づつ渡して、今後の事業の繁栄のお願いをした。

経営者に出来る事は、目的、方針、理念のを掲げる事しかできない。

達成足らしめるのは、現場の社員さんの心一つである。

何としても、社員さんの「豊かなライフスタイルの実現」が最も大事と思う。

21世紀に生き残る為の、具体策も出揃った、後は現場の皆さんに、思いを熱く語り

協力、支援、尽力いただくことに、不撓不屈の精神でリードしていくだけ。

「念ずれば思いは必ず叶う」と自らが信じて、智価が求められる21世紀のこの時代を

必ず生き残り、ビジョンを達成して、我社の関わる社員さんと、祝杯を高らかと掲げたい。

投稿者 ohata : 19:54 | コメント (0)

2006年06月23日

21世紀に生き残る為に


20世紀のビジネスは、その時いくら買って頂き、いくら儲かったかが問われた。

21世紀の商売のあり方は、少子高齢化、人口減の社会、

20世紀の商売にプラス、開拓したお客様に生涯どれだけご愛顧いただけるかを考えねば成らない。

感動を与える知恵を生み出さねば価格だけでは、生き残れないと認識する事が最も大事な考え。

投稿者 ohata : 21:53 | コメント (0)

学びのち自らを知る

昨日は沖縄SA特別研修であった。118名の受講生の皆さんが、明るく、
元気でイキイキと、自らを知り、自らが生かされている尊さを再認識され、
自らの意思でこれからの人生、日常生活を主体的に自発性をもって、
歩む覚悟、決意をされたように思う。
しかし、実は自分を知る事で起こる問題も多々あると思う。
自己責任、自主性、自発性、運命を自ら切り開くと決意し、
自らを責める人、また、言葉を知り、学識かたかまり、自分は正しく、
他人は間違いと他人を責める人、様々である。
肯定的、可能思考、プラス思考、に気づき、学ぶ事で自らにジレンマが起こる。
他人は参加していないから気付きが浅い、なのに何故理解できないのだと責める。
自分が話す事が理解できないで当然、それが普通の人、
自分が普通でないと認識する事が寛容である。
賢い人と偉い人の違いは、多様な考えを容認できて、排除の論理をとらない人か、
自分の価値判断の範囲しか受け入れない人なのかも、偉い、賢い、一つの判断基準かも知れない。

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「私の近所の 平等院です。」

投稿者 ohata : 21:22 | コメント (0)

「完全無欠」2006年6月23日

=========================「道をひらく」 松下幸之助翁著================
「完全無欠」2006年6月23日

完全無欠ということは、これ以上望めないほどに好ましいことではあるけれど、
この完全無欠な状態を、お互い人間に求めることは、まずは不可能である。
人間個々はそんなに完全にはつくられていない。
だから、その考えること、なすことに、どこか欠けることがあったとしても、
一応はやむを得ない事と素直に理解し合わねばなるまい。
この素直な理解があれば、おのずから謙虚な気持ちも生まれてくるし、
人を許す心も生まれてくる。
そして、互いに足らざるを補い合うという協力の姿も生まれてくるであろう。
人はとかく、己の考え、なすことを完全無欠と錯覚し、
自らを一人高しとして、他にもその完全無欠を求めんとしがちである。
しかしそこに生まれるのは、いたずらな対立といさかいと、そして破綻だけであろう。
完全無欠でないからこそ、調和が必要なのである。
この道理のなかに、繁栄への一つの道がひそんでいるのではあるまいか。

投稿者 ohata : 20:54 | コメント (0)

後継が気になり始めた。


私が最近考える事の中に、後継者のもんだいがある。

後継者は、我が息子がなってくれるのが、零細企業にとっては自然な姿だと思う。

しかし、我が息子、我が家の事情優先のみで考えるわけにはいかない。

自分が創業した会社だから、我が息子に継承して、何が問題があるのか、と言い切れば

言い切れるかもしれないが、我が息子に能力がなければ、会社が倒産憂き目に会う。

我が会社も、我が息子、どちらも可愛い、だから、可愛い息子、会社どちらも失うような事だけは

避けねばならない。それが為には、後継しやすい、仕事の仕組み、システム、人財、売り方、商品

に社内変革を図っていかなければならないと思う。息子、会社どちらも可愛いが為に改革、改善を

急ごうと思っている。

「創業は易し、継続は難しい」「創業者は独断、強制、強圧、傲慢もあり、後継は衆知、民意第一」

投稿者 ohata : 19:53 | コメント (0)

2006年06月22日

「何としても目的、目標を達成したい、」


何としても目的、目標を達成したい、

朝に夕に、寝ても覚めても、絶えず必死に考えていたら、

必ず道は無限に開ける、誰かが助けてくれる、応援してくれる、衆知が集まる、

待っていては集まらない、誰かの応援もない、素直な心、純真な人でなければ

そのヒントもチャンス見えないし、掴み取ることも出来ない、

計画通りに目標がいかないのは世間が相手だからは当たり前と自覚する。

マダマダ熱意が足らない、何としても為したい、念ずる心が浅い、少ない。

念ずる心に邪心があると自覚するのが自らの救いとなり、成功への一番の近道。

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投稿者 ohata : 21:52 | コメント (0)

「共に栄える為に、共に学ぶ」


「理念と経営」
民主的、民主主義のルールは多数決が基本とよく言われますが、本当にそうだろうかと考える。

あのリーダ、会長、社長、あの人は、高圧的、強制的、トップダウン、
人の話を聞かないといわれることが、あると思います。

私は全て関わる人々が、誰一人として、

選りよい生活、よりよい会の運営、より繁栄を願わない人はいないと想うが、

ほんとうだろうかと疑問に感じる時がある。

総論賛成、各論反対が、グループ、会、会社、団体の運営でも存在すると思う。

理念、ビジョン、目的は賛成だが、各論、具体論、役割が我が身に及ぶようになれば途端に、

腰が引け、反論、反対を唱える人もいる。

つまり、自分で何かの任務、責任が及ぶとなると、民主主義を道具にして、異論を唱える、異論は

自己弁護、自己都合、自己利益の為に行使する人もいる。

利他の心を持つ事は中々難しいが、使命感、責任感、真の任務、

真の指導者の心構えを身につけている人は、天の声を聴き、大学の教えの如く

「明徳を明らかにし、民に親しむ、至善に止まり、物に本末、事に終始あり」の心境で、

多数決のみに頼ることなく、「志を為す為には、人と異なる事を恐れず」の心境で

正誤、善悪、よりよい道を見つけ出し、過去の決意、決断に悔いを残さない方針を下す。

二度とない人生を、ビジョンを持って歩みたいと期する。

投稿者 ohata : 21:21 | コメント (0)

「自己反省」 2006年6月22日


先ず自らを省みる。

ところが、世間の景気が悪くて、おしなべてみんなが不調なときには、
ともすれば眼が外に向いて、自身の反省を怠りがちとなる。

こう不景気では、こう世間の情勢が悪くては、というわけで、
責任を世間に転嫁して、自分の不調を安直にかたづけてしまう。
つまり自分は悪くないのである。

人間というのは誠に勝手なもので、自分で自分を余程注意していないと、
とかく責任を他に転嫁して、安易な納得におちいりがちとなる。

我に罪無し全て世間にありーーー 時にそういう場合もあろうけれど、
そんな時でも、世間の罪にとらわれず、我に一切の罪あり世間になし、
というぐらいの心構えで、どこまでも深く自己反省をしてみたい。

ゆきづまりは、自らを省みる心が失われたときにあらわれるのである。

投稿者 ohata : 20:53 | コメント (0)

沖縄で発見

17日から沖縄へ出張をしてきました。
取引先の沖縄美健の本村社長、宮国さんと、
新商品開発のために、メーカ数社訪問いたしました。
その際、昼食じかんとなり、琉球ソバの店に案内頂きました。
その店は、市内から外れたところにあり、沖縄の古民家を活かした
ソバ屋さんでした、年のころなら30歳前の若者が経営をしていました。
中々、信念があり、ビジョンを持っていると感じさせてくれる、好青年
であった、何れ、「経営研究会」「理念と経営の会」メンバーとして迎え入れたい
と想っています。その店にはなんと、坂本竜馬の写真が掲げてありました。
yamasan1-thumb.jpg

投稿者 ohata : 19:50 | コメント (0)

2006年06月21日

凡事徹底


[凡事徹底]という。挨拶、返事、後始末といった、

ごく当たり前のことでも徹底して取り組めば周囲が変わり、

仕事に対して面白さが生まれる。

人生が変わる、まずは三ヵ月、

心を込めて取り組んでみよう。

投稿者 ohata : 21:51 | コメント (0)

「もったいない」2006年6月21日

=======================「道をひらく」 松下幸之助翁著===================
「もったいない」2006年6月21日
美しい空、そんなものは日本にいくらでもあると思っていた。
美しい水も美しい緑もそんなものは日本にいくらでもあると思っていた。

それがみんな大事なものになってきた。
魚なんかも、日本は勿論世界中にいくらでもあると思っていた。
それがだんだん怪しくなってきた。

いくらでもあって、欲しい時にはいつでも手に入って、だからあるということが当たりまえで、
別にありがたいとも思わず、そのものの尊さが生かされないままに、極めて無造作に扱われてしまう。
そんなことの何と多いことか。

もったいない、という言葉が、人々の口から次第にうすれてきたのである。
そして、それが何となく古くさい言葉のように思えてきたとき、
世相の一変でいやが応でも、ものを大事にしなければならなくなってきた。

その必要性が次第に増えてきた。自然の摂理といおうか。
大事なことは、もう一度、もったいない、という言葉を取り戻すことである。
その思いでもう一度まわりを見わたしてみることである。
今からでも遅くない。

投稿者 ohata : 20:53 | コメント (0)

出張帰りの日


今日は出張帰り、あの体験、この経験、あの気付き、あの学び、色々な話しを幹部に伝えたい、

出張前に気になっていたあの事、この事の報告を聴かねばならない。また新たな相談事もある。

忙しいことこの上ない、しかしよく考えてみると、有り難い事である。

何事もなく、相談者もなく、当てにされていないとしたら、生きている価値は果たして在るのだろうか。

しかし忙しいからと云って、心ここに在らずの報告受けてはならないと思う、

忙しいからこそ、慎重でなければならないと自らに因果を含める。

投稿者 ohata : 19:49 | コメント (0)

2006年06月20日

社長の考えはビジョン達成の机上論である。


仕事のヒント、アイデアは決して机上にあるのでなく現場にあり。

現場からの新たな工夫、より良い方法を仕事に活かす事が一番。

しかし中々取り入れられない事は多々ある。

取り入れられないことを悔やみ、投げやりになるのではなく、

採用されない理由を相手の側に立ち考えることが大事。

我欲、利己的欲求が優先していないか?

投稿者 ohata : 21:51 | コメント (0)

会、組織を束ねるのは大変なご苦労。


団体、組織、会は多様な考え方を持った人々の集まりである。

目的、目標をしっかり理解している人、理解していない人、

人生色々のごとくである。腹の虫の居所の悪い時、機嫌の良いとき、

自分の心のポジションは解るが他人には解らない、

TPOもある、事ほど人間は難しいものである。

ましてや社長、指導者の集まりともなればごと更、一つの方向に束ねるのは大変、

自分を思いを閉じこめ、他人の声を聴くなど私には出来ない事を、

現実に役割を勤め、更に会を繁栄させているリーダには頭が下がる思いだ。

投稿者 ohata : 21:21 | コメント (0)

「自分のもの」 2006年6月20日

=======================「道をひらく」 松下幸之助翁著=================
「自分のもの」 2006年6月20日
自分の身体は、自分のものであって、自分のものではない。
血のめぐり、内臓の働きどれ一つとってみても、
自分の意思によってうごいているものはない。
つまり、大きな自然の恵みで生かされているいわば天からの授かりもの。
天から預かっているものである。
自分の金、自分の仕事、自分の財産、自分のものと言えば自分のものだけれど、
これもやっぱり世の中から授かったもの。世の中の預かり物である。
どんなものでも本当は、自分のものというのは一つもないのである。
自分のものがあると思っていても、それはかりにそう定められているだけのことであって、
本当は何もないのである。
授かったものである。預かったものである。つまりあるということは、ないということでもある。
だからこそ、どんなものでも、これを大事にしなければならない。
身体も金もそして仕事も、いたずらに粗末に扱ってはいけないし、
おろそかに考えてはいけない。
大事に慎重にそして有意義に、その働きをいかしたいのである。

投稿者 ohata : 20:52 | コメント (0)

人生はマラソン

苦しくたって、悲しくたって、厳しくたって逃げ出せないのが、

経営者としての心構え、

だから、そのためにも学力、眼力、胆力、を高め、深め、広め、主座を持ち、

日々決意、決断、ビジョンに向かって実行あるのみ、

初めはアゲンストの風が厳しい、

しかし継続していれば必ずフォローの風も吹くと信じる。

投稿者 ohata : 19:49 | コメント (0)

2006年06月19日

「暖簾(ノレン)わけ 」  2006年06月19日


 「暖簾(ノレン)わけ 」  2006年06月19日
昔は、お店に何年かつとめて番頭さんになったら、やがてはノレンを

わけてもらって、独立して店をもったものである。今でもそういうことが、

一部で行なれているかもしれないがけれど、それでも世の中はずいぶんと

変わった。生産も販売もしだいに大規模になって、店の組織も会社になって、

だからもうノレンわけなどというものはすっかり影をひそめてしまった。

つまり、独立して店を持つということが、むつかしくなって、

会社の一員として終生そこで働くという形が多くなったのである。

世の中の進歩とともに、大規模な生産販売に移行してゆくのも

自然の姿であろぅ。だからこれもまたやむを得ないことかもしれないが、

しかしノレンわけによって、独立の営みをはじめるというあの自主的な

心構えまでも失ってしまいたくない、会社の一員であっても、実はそのなかで、

それぞれの勤務の成果によって、それぞれにノレンわけをしてもらっているのである。

だからみんなその仕事では独立の主人公なのであ。そんな気持ちで、

自主的な心構えだけは、終生失わないようにしたいものである。

投稿者 ohata : 20:51 | コメント (0)

2006年06月17日

いい加減な気持ちでは何事も成就しない。

いい加減な気持ちでやっていたのでは、どれほど時間をかけても成果はあがらない。

結果を得ようと思えば、全身全霊を傾け、真剣に本気になって打ち込むことである。

本気になって一つひとつ為すべき事を為してゆけば、必ず成就の時がくる。

自分は本当に本気なのかな?

投稿者 ohata : 21:51 | コメント (0)

「豊かなライフスタイルを創造するために」


世間は会社、自分の為に変わってくれない。

自分、会社が変わらなければならない。

自分、会社が変わるとは、社風を変えることである。

社風を変える為には、リーダが変わる事である。

リーダが変わるためには。

トップの時代感覚、現状認識、ビジョンを打ち立てる事に尽きる。

投稿者 ohata : 21:21 | コメント (0)

「世の中」2006年6月17日

=======================「道をひらく」 松下幸之助翁著===================

世の中はなかなか自分の思うようにならないというけれど、見方によっては、自分の思うようにならない方がいいのかも知れない。人間は神様ではないのだから、いつも一番正しい考えを持っているとは限らないわけで、時には自己に執し、他人に捉われる。そんな捉われた考えを世の中に押し付けてみたところで、それで通るはずがない。しかし世の中も中々寛大なところがあるから、ある程度までは受け入れてくれる。それでいい気分になって調子に乗る。その辺で止めとけばいいものをと思っているうちに案の定ゆきづまる。ゆきづまってみて、世の中はなかなか自分の思うようにならないと嘆く。もともと自分の考えが捉われていたのだから、嘆くほうが無理である。もしも自分の思うようになっていたら、取り返しのつかないことになっていたかも知れない。自分だけならいいけど他人にも迷惑をかける。世の中はいい先生である。寛大なところはあるが、最後に正邪をちゃんと弁えている。だから馬鹿にしてはいけない。筋道の通ったことはやはり通してくれるのである。なぜ自分の思うようにならないか、世の中を先生に一度よく考えてみたいものである。

投稿者 ohata : 20:51 | コメント (0)

安心、安全、私の解釈

今日は、田舞塾で名古屋に来ています。今日も心許せる同志と、あれこれと、語り合う。

ビジョンの話があったり、経営の課題であったりビジネスの手段、方法、戦略、戦術であったり

いくら時間があっても、尽きない、友は有り難いものだ。

今日の講演で学んだ事は、吉野家の安部社長の話の中から、会社で私もよく語る、

安全、安心について、納得できる、話があった。

安心とは、お客様の心が安らかになっていただくために、会社が心配る事である。

会社がお客様に安心を与えるとは、お客様、個々の感性で感じられる事を知り

限りなく追求しなければならないと、学ぶ。安全とは、お客様に安心を与える為に、

提供するベネフィツトに最善の心配りをする事である、と私は聴き取った。

投稿者 ohata : 19:48 | コメント (0)

2006年06月16日

必ず成功しましょう。


人生、会社、仕事も必ず成功するはずであると松下幸之助は話されています生きる事の目的、目標の為の「善欲」が個人、会社、お客様にもあるからである。それなのに繁栄しない、もめ事が起こるのは、私心、私欲、我欲で角つき合わせるからである。リーダは指導者の心構えを持つことと、部下はリーダの共に繁栄する為の思いを感じ取ってあげる事が大事。思い思われの心

投稿者 ohata : 21:50 | コメント (0)

「軽々しくは」

=================道をひらく。  松下幸之助翁著======================
「軽々しくは」 2006年6月16日
たった一つしかない生命というけれど、お互いの人間の身体は、実は三十三兆という気の遠くなるほどのたくさんの細胞が、神わざとも言うべき巧みさで組み合わされて、その調和ある働きによって、それで見事に成り立っているという。中でもその素晴らしさは、頭の中の大脳の表面。そこには百四十億もの神経細胞がギッシリ詰まっていて、それらがチカチカかパチパチかは知らないが、ともかく妙なる作用をして、それではじめて人間としてのものが考えられるという。見られるものならば見てみたいと、ソッと我が頭をなでては見るものの、実はその百四十億の神経細胞は、まず普通人の場合、働いているのはそのごく一部で、神に近い天才といわれる人でも、いまだかってその細胞全部を生かしきった人はないというのである。そぅとすればお互いに、もうこれしか考えられないとか、これこそ絶対とか、自分だけが正しくて他はすべて間違いとか、そう軽々しくは言えないような気がしてくる。もう一度謙虚に考え直してみたい。もう一度素直に学び直してみたい。

投稿者 ohata : 20:50 | コメント (0)

雨が降った事で元気が戻った。


昨日は、久方ぶりに梅雨らしい、雨が降った、庭の草木もお陰で色鮮やかに、元気になり、僅か一日で背丈が伸び、アジサイの花が開花した。我々人間に照らし合わせて見ると。腹が減って元気のない時、
道に行詰って戸惑っている時、迷っている時、何をやっても上手くいかないとき、丁度そんな時を振り返ってみると良いと思う。困り、悩み、悶々としている時に、セミナーの受講をする、成功者の講演を聴く、本を読む、テレビを見る、そして気付き、気が晴れやかになり、また頑張ろうと決意する。しかし、水を毎日与えられる事が当たり前と思っている草木もある。人間も気付く事は気付くのだけれども、継続力、持続力、可能思考力を持ち続けることが出来ない、他人依存の人がいる。そんな人の為に、各地の経営研究会、「理念と経営」経営者の会が存在していると思う。やはり人間一人で成功する事など、凡人の私には中々出来ない事だと思う。

投稿者 ohata : 19:48 | コメント (0)

2006年06月15日

花、草木から学ぼう。


今日は十五日、感謝月間最終日です、会社、上司、自分、誰が目標を決めたかが問題ではないと思います。いかに目標に挑戦したか、挑戦しているかが問われます。人それぞれ、マダ一日ある、もう今日一日では無理だ、色々な考え方を持っている人が、各々の営業所にはいる。その事は認めざるを得ない。
しかし、そんな考え方の人を変えるのは難しい、「要は過去と他人は変えられない、自分と未来は変えられる」互いに人生ビジョンを掲げて、直向に進もうではありませんか。信ずれは、継続すれば、念じれば必ず、夢は現実の事となる。人間は植物と一緒、植物は太陽に向かって咲く、宇宙根源の法則が存在する。

投稿者 ohata : 21:50 | コメント (0)

永年勤続社員さん

「理念と経営」

お陰様で我社にも、創業以来23年間の永きにわたり、在籍していただいている社員さんが3名います。
業績の良いときも、悪い時も、給料を遅配した時も、全ての過去の体験、経験、時間をを共有していただいた事には感謝の念を持ちます。有り難い、恵まれていると思います。大方の同志の皆様から見れば。
「うるさい、しつこい、声が大きい、態度が横柄、言いたいこといい、身勝手、独りよがり、人の話を聞かない」等、自分自身の特徴、人間性をあげたら、マーこれ程癖のある人間はいないと自負している。しかし社員さんは、一生懸命私の思いを果たせるために、仕事をこなしてくれている、その幹部社員さんに先日、話した事がある、出先の営業所に報告、連絡、相談、確認を実行して、仕事をしてくれているかと問いただすと、社長のつもりでやっていますとの返答があった、そこでこだわり、頑固な社長の私は、また小言を言ってしまった。社長のつもりよりも、社長だったらどのように指示を出すかな、社長だったらどのように判断するかなの尺度を持って日常業務を遂行して下さいといった。私は社長のつもりと、社長の思いでは、それほど違いは無いように受け取るが、随分と違う気がしてならない。社長の思いとは、経営理念が全ての価値判断の尺度であるように考える、皆様は如何ですか。

投稿者 ohata : 21:20 | コメント (0)

「誰が」2006年6月15日

========================「道はひらく」 松下幸之助翁著===============
「誰が」2006年6月15日
日々の暮らしの中で、お互いあれも欲しい、これも欲しい、ああも、したい、こうもしたいと、さまざまの望みが果てしもなくつづいて、それであれこれと心ふくらます。それはそれでよいけれど、それを単なるのぞみだけに、終わらさないためには、やっぱり肝心なことは、先ず勤勉に働くことである。真面目に働いて着実な収入を得ることである。働きはほどほどで、望みだけふくらましていても、別に金のなる木があるわけでもないし、天も地も誰もどうしてもくれない。当たり前のことではあるけれど、これが国家の経営となると、いささかわけのわからぬことになりがちである。国民がああもして欲しい、こうもして欲しいといえば、政治家もまたああもします、こうもしますと約束する。さまざまの要望と約束が行き交うけれど、一体それだけの費用を誰がどこから生み出してくるのか。結局、国民みんなが勤勉に働いて、その働きの成果を税金の形でもちよらねば、国がつぶれるだけである。誰かが何とかしてくれるでは、国家の経営は成り立たないのである。お互いに、もう一度よく考え直してみたい。

投稿者 ohata : 20:50 | コメント (0)

感性力、眼力


今日は朝から雨模様、毎日晴れで、気温も高く、花、野菜の事が気になっていたが、今日は水をまかなくてよいから、少し遅くまで眠る事ができた。植物は正直である。一時も手入れを怠れば、枯れてしまう。
水、肥料多いのもいけない、少ないのもいけない、丁度ころあいでなければ、綺麗な花、良い果実をつけない。人間のように言葉では話さないが、無言で訴えている、植物の育てる為には、感性力、眼力が求められる。どこかで学んだ、アイコンタクトがいる。

投稿者 ohata : 19:47 | コメント (0)

2006年06月14日

「すぎる。」2006年6月14日

=======================「道はひらく」 松下 幸之助翁著=================
「すぎる。」2006年6月14日
食べ過ぎるということがある。呑みすぎるということがある。何にでもすぎるということがある。ついつい目先の欲に走るのである。それも人間の一面であり、人間社会の一断面でもあろう。足りないのも困るが、すぎるのも困る。すぎた過ちはたちまち我が身にかえり、我が身だけでなく、社会全体にもかえってくることがあって、我が身も苦しめば、人々にも迷惑をかける。過ぎないように自分で律する。これが出来れば一番いいのだけれど、そうはたやすくまいらない。だから、他からの力でこれを抑える。言葉で、法律で、権力で、時には武力で。そんなことの繰り返しで人間の歴史がつづられ、そこにいろんな悲劇も生まれてきた。他からの律する力が、またすぎる場合が多いからである。だからやっぱり、自分で自分を律するほか道はない。人間としての真の道はこれしかないのである。それが王者というものである。難しいけれども、やっぱりこの道を歩みたい。真の進歩を生み出すために。

松下幸之助翁 日々の言葉
「成功と失敗」百の事を行って一つだけ成ったとき、成らなかったとき、成ら なかった九十九に目を向け、力を落とすか、成った一つに目をむけ希望を抱 くか、成功か失敗かの分岐点こんなところにもある。

投稿者 ohata : 20:49 | コメント (0)

積み上げ算と引き算。


今日は、ビジョン実現の為に、かねてよりお願いしている、システム開発の会社の社長に、来ていただいた。どうも仕事のスピードが遅い、それは私が早すぎるのか、相手がおそすぎるのかの判断はあると思うが、私の考え方は、あるべき姿、成し遂げる。いわゆる到達予定日を設定して、だから今から何を為さねばいけないかを考えるタイプ、ビジョンを掲げて逆算して計画を立てるタイプである。
しかし、大方の人は、私から見ると、慎重なのか知れないが、こんなスピード時代にも拘らず、過去と同じように積み上げ算方式で、仕事を組み立てる傾向がみられる。ビジョナリカンパニーとは、ビジョンを掲げ退路を断ち、断崖の淵に立ち、そこから計画立案し、実現足らしめる事では無いかと私は思う。今は21世紀、スピードが要求される時代である。

投稿者 ohata : 19:45 | コメント (0)

今日は過去との連結、未来を創造しよう。

天国の良さは地獄に落ちてはじめてわかる。不足を体験しなければ現状に甘える、真に満ち足りた喜びは味わえない。今は過去の結果、今日からはどう生き抜くのか、覚悟はいかが。

投稿者 ohata : 19:44 | コメント (0)

丁度ころあいは難しいものだ。


「理念と経営」
丁度ころあい、程々という言葉がある。また徹底的にという言葉がある。一体全体どうしろと云うのか。考え込んでしまう、人によってそれぞれである。とかく、私は、何事につけても「過ぎる」癖がある。
喋り過ぎ、完全、完璧、何としても、そうあるべき、とかく固すぎるところがあると自負する。困ったものだ、周りを省みると、こんな男と付き合い、語り合うのは、肩がこると思う。しかし、こんな男を、立ててくれる、受け入れてくれる、同志は本当に有り難いことだと思う。こんな堅苦しい男では、衆知、叡智、助言は中々言ってもらえない事になる。モット、モット柔軟な心を持たねばならないと思う。コミニュケーション時にまでこんな、窮屈な考え方、価値観の押し付けでは、自らが墓穴を掘ることさえ起こり得る。今後の私の課題は、しなやか、穏やか、寛容、思いやり、素直な心が、一番の課題、会社の繁栄の大きな要因の一つでもあるような気がする。硬軟両様、これは難しい課題である。

投稿者 ohata : 19:43 | コメント (0)

2006年06月13日

「理念と経営」

「理念と経営」私の主張
「ボトルネック」という言葉は、田舞塾、そのた色々な学びの機会で耳にする言葉である。概念的には解るが、学問のレベルで認識していた。ボトルネックとは、ビール瓶の胴体と口先の間の狭い部分のことを指すと認識している。会社、商店、家族であれ組織には必ずありうることである、会社には社長、幹部、社員がその持ち場、役割に応じて仕事に精を出している。しかし、ただ単に一生懸命だけでは、最大の成果は得られない。最大の成果を得るために、社長は理念、ビジョンの実現を目指し、学び、聴き、読み、計画立案、方針を立て、実行に移す、しかし、その社長の構想を現場に周知徹底するときに、重要な任務を果たすべき幹部の器(度量、視野)が小さく、解釈力が浅ければ、社員に理解、納得できるように伝えられない。そんな幹部がいる会社は、時間の浪費、経費の無駄使い、顧客の喪失、やがては会社の倒産にさえ結びつく可能性さえある。幹部の心理状態を掌握しておかなければならない。ビジョン、理念の共有が大事だと解っていながら、出来ていると思い込んでいる、思い込みは怖い。方針には従ってもらわねばなら無いが。しかし手段方法、戦術は現場の意見を充分に聴き(衆知)方策立てて、徹頭徹尾進攻するのみである。

投稿者 ohata : 19:42 | コメント (0)

「理屈」 

===================「道をひらく」  松下幸之助翁著==================
「理屈」 2006年6月13日
もう理屈は言うまい。理屈のやり取りの空しさが身にしみる。本当に心から、こんこんと噴出してくるような、そんな言葉が口から出てこないものか。あれやこれやと頭でこねくりまわして、つじつまの合わないところは、手前勝手な言い分でつなぎ合わせて、それで相手に解ったかと問うてみても、そこには白々し
さが残るだけである。これは人間同士の会話ではない。少々つじつまが合わなくてもよい、理屈に合わなくてもよい。そんなことにとらわれるよりも、人を心から愛し、敬し、そしていたわり合う素直な思いのままに語り合えないものか。トツトツとした語りでもよい。大事なことは、理論、理屈のやり取りではない。心が通じ合うことである。そしてそこに、お互いににじみ出るような信頼感が生まれ、お互いに助け合って生きていく力がわきおこり、人間として生きることの幸せを味わうことである。出来るはずである。相手がどうあろうと自分には出来るはずである。そう信じたい。

投稿者 ohata : 19:41 | コメント (0)

2006年06月12日

「仰ぎ見給え」 2006年6月12日

=======================「道をひらく」松下幸之助翁著=====================
「仰ぎ見給え」 2006年6月12日
仰ぎ見給え。あの透き通るような真冬の青空。
どこまでも、どこまでも青く染まった果てしなき大空の深さ。思わず息をのむ。
そんなとき、天の声が聞こえる。フト天の声が聞こえる。
天の声は自分の声。自分の魂の声。何にも考えていないとき、
何にも考えようとしていない忘我のとき、フト浮かび上がってくる不思議な声。
それが天の声である。素直な魂の越えである。
たちまちにしてかき消され、忘れていく声かもしれないが、その一瞬のなつかしさを大事にし給え。
小さな知恵と小さなとらわれと小さな憤りのなかで、われと我が心を傷つける日々であるけれど、
お互いの天与の魂はそんな日々に耐えて、きょうもなお奥深く、静かな光をたたえている。
その光が、もの思わぬ一瞬にきらめくのである。
天地と一体となった忘我のとき、フトひらめき出るのである。
この素直ななつかしさ。不思議なあたたかさ。
思い悩むのもよい。迷いの淵に立つのもよい。それも人間の一つの生き甲斐かも知れない。
しかし時に仰ぎみ給え、あの透き通るような真冬の青空を。

投稿者 ohata : 19:40 | コメント (0)

2006年06月11日

他地域、異業種、新たな交わりが、器を大きくする。

昨日は、阿蘇の岡本酒店、阿蘇プラザホテルを訪問してきました。

どちらも、熊本経営研究会のメンバーの皆様でした。

年齢は、私よりも若く、礼儀正しく、素直な心の持ち主でした。

阿蘇プラザホテルの稲吉さんは、お父さんに、自らの肝臓の三分の二を移植

されたのこと、入院して始めて、父親と同じ部屋で過ごす事が出来たと話されていた。

何事も肯定的に受け入れる能力が高く、歳わかきにも関わらず、頭、腰の低い経営者

さんでした、また岡本酒店さんも、謙虚に誰からも、学ぼうとも努力家の経営者でした。

やはり、向上心の強い人は、全てが学びのとの意識が高い人が多いと感じた。

経営研究会の同志との夕食会で、小園、辛、松阪さんのコラボレセミナーの話が及び

何とか熊本で開催できないかとの意向があった、今月の田舞塾で聞いて見ると応えておいた。

やはり人間も、動植物と同じ、同じ穴のムジナでなく、枠を飛び越え、他地域、異業種、新たな

同志と交わる事が、自らの視野、考え、世間の声を多く受け取り、自らの器を大きくする事になる

そんな事に気付かされた一日であつた。

投稿者 ohata : 20:16 | コメント (0)

2006年06月09日

「馬の目かくし」 

===========================道をひらく  松下幸之助翁著===============
「馬の目かくし」 2006年6月10日
この世の中、本当は、わかっているよりも、わからないことの方が多く、知っている
よりも、知らないことの方がはるかに多いのである。人類の生命は、これから先、無
限と言ってもよいほど続いてゆくであろうが、これは言いかえれば、人類の知恵もま
た無限に進むということで、この宇宙の真理の広さ深さは、マダマダはかり知ること
が出来ない。そのはかり知ることが出来ない真理の一端をつかまえて、これこそ全て
なりと断じたら、人智の進歩も、もうそれで止まってしまうであろう。科学も無限、
思想も無限、政治のやり方も、経済経営も、すべてまだまだ無限に新しく残されてい
るのである。
昨今とかく、自分を正しいとするあまり他を排するに急な傾向が見受けられる
ようだが、これはまさに馬の目かくしである。これでは事が小さくなる。真の繁栄を
生み出す為には、お互いに目かくしをはずして、もう少しおおらかになりたい。謙虚
になりたい。

松下幸之助 日々のことば。
「決意」決意というものは本来ほとばしり出るもの。日常の活動の中に累積し
 た意欲の発露である。
「経営力」いい製品をつくるのも財務内容をよくするのも、みな経営力の如何
 んにかかっている」

「理念と経営」
会社には経営の目的(理念、ビジョン)がある。
目的を果たすための経営計画が一応はある。しかし経営計画と通りに中々業績が上が
らないのが、頭痛の種、欲が深いのか、実力が無いのか、世の中の要請に応えられる
事業でないのか、考え込んでしまう。自分と比べれば、艱難辛苦の生い立ちの人でい
ながら、人生の成功を勝ち取っている人は世の中には多数おられる。自分に腹が立つ
と同時に、それも成長の糧になる。自分と自問自答して自分で可能思考、ポジティブ
な心境を造りださなければ、こんな厳しい時代は乗り切れないと自分に言い聞かす今
日この頃である。
何とか売上を上げろ、業績を伸ばせと日々ハッパをかけるが、笛吹けど踊らずの状況
である。社員さんは、社長は現場、現実を知らない、と社員さんは言いたげな目で、
私の話を聴いている。現場、現実を知らないから、出来ることも
多々ある。こんなたとえ話を今日はして見た。頭の髪の毛が薄くなる人は、毎日抜け
落ちていくが、本人、周りの人は少しずつ減っていくから気にならない。
減っていく度合いが気につかない。しかし何年か振りに出会えば一目で、頭の状態が
わかる。つまり、何とか黒字、何とか会社が維持できているところに、時代が変革し
ているのも関わらず、自社が変革できない大きな問題がある。
目的、目標、理念、ビジョン、志をキッチリ見据えて、退路を断って決意、決断、繊
細、怖がり、恐怖心、不安感、これらを併せもって邁進しなければならないと思う。

投稿者 ohata : 19:40 | コメント (0)

「フシの自覚」 

=====================「道をひらく」   松下幸之助翁著==============
「フシの自覚」  2006年6月09日
この世の中、人の一生いろんなことがあるもので、何もなくて平穏無事、そんなこと
は中々望めない。だから時に嘆息も出ようというものだが、けれどもそのいろんなこ
とのつらなりなりのなかにも、おのずから何らかのフシというものがあるわけでもな
い。何がなしにダラダラといろんなことがつづいていくわけでもない。ダラダラと続
いているように思うのは、その連なりの中のフシを見過ごしているからで、だから心
も改まらなければ姿勢も改まらない。
大事なことは、このフシを見分け、自覚し、その節々で思いを新たにすることであ
る。これがわかり、これができれば、いろんなことがすべてプラスになり進歩の糧と
なって、次々に起こることはむしろ歓迎するようにもなるであろう。
フシは自然に与えられる場合もあるし、自分で作り出していく場合もある。
いずれにしても、とらわれない心でものを見、考え、振舞うことである。難しいこと
かもしれないが、やっぱりこれが一番大事なことではなかろうか。

松下幸之助日々の言葉
「囚われ」事物の背後にある流れ、つながりを見通す目と心を培え。ものの一 面に
とらわれることは失敗を呼ぶ。
「組織」時代が変われば当然組織というものも変えねばならない。しかし変え
 すぎてはいけない。

「理念と経営」
「理念と経営」経営者の会、副会長の大役を頂きながら、地元京滋に普及できていな
い事に、ジレンマ、自己嫌悪、自分のカイショの無さを思い知らされる。
日創研、田舞さんの為に普及しようとしているのではない。共に栄えるために
共に理念(経営の目的)、経営者としての使命に気付こう、企業の社会性を認識しよ
う、ひいては地域、政治家、国家の目覚めを、松下幸之助翁の遺志を受け継ぎ後世
に、我ら同志が立ち上がろうとのそんな崇高な主旨、目的であるにも関わらず、
中々、ご理解いただけない無念さ、一抹の寂しさを感じる。
何の為、誰の為、何故企業は栄え続けなければならないのか、を考え続ける中にし
か、真の繁栄の知恵は浮かばないと、自分は思っている、この考え方は、大きな錯覚
なのかなと、自分に疑問に感じる事もある。
一人の目覚めが、十人、百人、1千人、やがては万人に拡がり、会社、自分、お客
様、取引先、地域、国家の世直し、繁栄になると信じて、一緒に活動してくれる同志
が、どのようにしたら拡がるのか、誰か教えてください。
悩み尽きぬ、今日この頃。

投稿者 ohata : 19:39 | コメント (0)

2006年06月08日

「責める。」道をひらく:松下幸之助著


他人を責めるということは、本当は中々容易でない。方もいやならば、責めるほうも
決して気持ちのよいものではない。出来ればお互いに責め合わないでいたいのだけれ
ど、神ならぬ身、時にはやっぱり責めたくもなるし、また責められて気のつくことも
ある。だから、責める、責められるということは、人と人とが寄り合って暮らしてい
くこの世の中では、避けることの出来ない一つの人間の宿命なのかも知れない。そう
とすれば、せめてこの宿命をいたわり合うような、ここの通い合った姿の中で人間ら
しく責めてみたい。責められてみたい。
動物ならかみ合い血を流すしか天与の手段はないかもしれないが、人間には
怒りを愛に変え、憎しみをいたわりに変えるだけの心の働きが与えられている。
その心の働きを精一杯にかたむけてみたい。難しいことかもしれないが、その難しさ
を知った上での責め合いでありたいのである。しかし、もっと難しいのは、自分で自
分を責めるということであろう。責めるということは、いずれにしても中々容易でな
いのである。

「理念と経営」
当社の社員さん全てが、二度、三度、多い人は10回位他社での職歴を持っている。
その人の過去の職能力は、私には解らない、しかし少なくとも、私よりは学歴はある
人がほとんどである。以前は自分自身の学歴コンプレックスで、確信をついた、
フィードバックは出来ていなかった、よって何か、指示、命令なのか、戦略方針なの
か、社員さんが戸惑っていたと思う。それでもその時は、よき時代で、会社は何とか
業績を伸ばす事が出来た。しかし経営力、会社の戦略、戦術ではなかったようであ
る。大きな勘違いであった。
我社のような業務形態の仕組みは、景気が上向くと、人材を確保する事が厳しくな
る、今後は団塊の世代が職場から600万人とも700万人とも予想される人が第一
線から離れていく事を考えたら、今のビジネスモデルは成り立たない。無いものねだ
りはするつもりはない。時代に合ったビジネスモデルの構築を急がねばならないと
思っている。いまこそ我社にとって経営者としての力量が求められる時だと思う。な
んとしてもビジョンを果たすために、断崖の淵に自ら立つ覚悟で、道を開く。

投稿者 ohata : 19:18 | コメント (0)

2006年06月07日

「様相不変」道をひらく:松下幸之助著


幼き日の友に、20年ぶり30年ぶりに出会ったら、その姿かたちのすっかり変わったのに、一瞬戸惑いを覚えることがしばしばある。
それでもやっぱりどこかに、幼き日の面影が変わらず残っていて、その面影にたちまち心が和み、20年の歳月がつい昨日のようでうれしく楽しく手を握り合い語り合う。変わっていくのは自然の理である。様相一変もまたよしである。
けれど、その中にも変わって変わらないものがあってこそ、人と人とのつながりにも心が通い合う。めまぐるしく変わりゆく今日この頃。何もかもがたちまちにして様相一変。自然のたたずまいも風俗習慣も、食べるものも着るものも、物の見方考え方も何もかもが変っていく。
変わるものは変わったらいいし、かた変えたほうがいいのかもしれないけれど、
様相一変の中にも、やはり様相不変のものを大事に見つめ、大事に守り育てたい気がする。自然と人間、人間と人間、このかけがえのないつながりを、いつまでもゆたかに保つために。

松下幸之助日々の言葉 
「病気」医者の言うことはよく聞くべきだ。しかし、本当の主治医は自分自身  である。
「仕事の進め方」仕事を自分の稼業、同僚を同業者、上役をお得意先という解釈で自分の仕事を見直してみてはどうか。

「理念と経営」
松下幸之助翁の経営の思想の根底は、水道哲学、ダム式経営に凝縮されていると思う。世の中で社会生活を営む上で、より良い生活、文化的な生活、繁栄、平和、幸福、楽土の国家を創造するために、水道哲学を確立されたのだと思う。
世間、社会、時間は有効な資源と考えて、時間の生産性、時間のゆとり、時間で得られ新たな発想、発明、社会の進化、あくまでも、自社優先でなく、社会、世間を優先する思想であったと思います。また経営者が会社経営を行う上での
持っておかなければならない、心得として、ダム式経営の必要性を訴えておられるのだと思います。ダムがなければ大雨が降って、河川が決壊し、田畑、道路、家屋の倒壊を及ぼす、だから一時に水が流れないように、ダムで堰きとめ、天候、状況を見て放流する。また水を活用して電気を生み出す、いわばマイナスをプラスに変えるそんな効果がある。我社に例えれば、新規のお客様を毎日会社のPCがダムの役割をしてデーターとして貯えている。しかし、貯えることには日々一生懸命だけれども活用が出来ていない。自分は、お客様は財産といいながら、自分の知らないうちに、貯えることばかりを意識して、活用する事ツイツイ忘れその内に蒸発して、気がついたら、ダムの中の水はなくなってしまっている。こんな知恵の経営では、何時までたっても経営理念「豊かなライフスタイルの創造」は果たせない、なんとしても、時代に合ったビジネスシステムの構築を急がねばならないと決意する。

投稿者 ohata : 19:16 | コメント (0)

2006年06月04日

「徹底的に」道をひらく:松下幸之助著


起こってはならないことが、次々と起こってくる。起こってほしくないことが、
次から次に起こってくる。去年もそうであったし、今年もまた同じこと。
誰が起こしているのか。馬でもなければ牛でもない。
馬や牛はただ人間からなされるまま。人間を困らせるようなことは何もない。
困ることを起こしているのは、やっぱり人間自身である。
夏衣で寒風にたてば、まず普通の人はカゼを引く。
カゼをひきたくなければ、それ相応の衣服をまとえばよい。風に罪はない。
不用意な人間自身に因があるのである。
因があるから果があるので、不用意、不心得の因があれば、起こってはならないこと
も起こってくる。つまり、起こるべくして起こったわけで、よく考えてみれば何の不
思議もない。だから、何事も起こってはならないことを起こしたくなければ、お互い
人間の、不用意、不心得を徹底的に反省しなければならない。ともすれば徹底を欠き
がちな昨今、とくに不用意な人間の心のあり方そのものを、まず自ら徹底的に考え直
してみたい。反省し直してみたい。
自分の為にも社会の為にも。

松下幸之助日々の言葉 
熱意」熱意なき人は描ける餅のごとし。知識才能も熱意がなければ無に等しい。
合理化」必要な経費だと思っていても、さらにそれを吟味し合理化することを怠らな
いようにしたい。

「理念と経営」
我社の経営やり方には明日も未来も無い。こんな事業の仕組み、仕方、システム、商
品は大変革を決断しなければならないと思う。
予測不可能な売上予算(空理空論)に基づき、販売計画を立てて、確実性の高い
経費予算を組む。変動経費は売上により発生するが、固定経費は売上があるなしに関
わらず必要、こんな経営を維持していくためには、債務の責任を持つ社長が陣頭指揮
(リーダシップ)とる経営方法しか選択肢は無い。
これでは、どこまで行っても、経営者の心のゆとり、人財の育成は口先だけで叫ん
で、心から社員さんを信用、信頼する事にはつながらない。
だから、どうすれば良いかと、悩み、考えた結果、身近なところでは、税理士さん、
あるいは新聞社、信販会社の経営に学ぼうと思った。
税理士事務所は、年間顧問料で収入予算が組める、新聞社は年間購読料が読める、ク
レジット会社は、一年、三年、五年と入る予定が立つ、年間売上計画の五割、七割が
確実に読めれば、残り三割の販売、顧客獲得の為に多くの経費が投入できる。しかし
読めない売上を当てにして、期待値で確定的な経費を投入する仕事のやり方、仕組み
は、目の見えない人が、初めて通る道を、杖も持たずに歩いているのに等しい。何と
してもビジョンを必達する。ビジョンの力、必要性を知った事は有り難い。

投稿者 ohata : 19:15 | コメント (0)

2006年06月03日

「古 仏」道をひらく:松下幸之助著


冬の古寺は静かである。枯葉の中の雀の足音が、シーンとした静寂にカサコソとゆれ
る。そのほのぐらい本堂に、長い人間の歴史を見守ってきた古仏の微笑が、静かに浮
かんでいる。吸い込まれるような微笑である。永遠の中に没入してしまいそうな微笑
である。生きていくことは容易でない。容易でないけれど、真冬のほのかな日射しを
わが身にうけて、やっぱり生きていることの有難さが身にしみる。生きている日々は
尊くて、その一日一日は何にも変えられない貴重なものである。けれども、その日々
にとらわれて、自分だけが生きること、自分が生きている間のことだけで、頭がいっ
ぱいになってしまったら、知らぬ間に事の考えが小さくなり、またもや考えの起伏に
にほんろうされる。
古仏の微笑みは、他を思う微笑である。自分を越えた微笑である。その微笑が、
長い年月、世と人に心の和らぎと励ましを与えてきた。
この年のこの冬の一日に、古仏に坐して静かに古仏を仰ぎみてみたい。

松下幸之助日々の言葉  
「相談の仕方」迷いごとを相談するには、自分なりの考えをある程度持ち、その考え
方のチェックのために相談する姿勢が大事。
「商売の秘訣」厳しい経営環境のもとでこそ、商売の原理原則を着実に実践していく
ことが求められる。
「理念と経営」
日々仕事に追われて、売れた、売れなかった、儲かった、損が出た、社員が退社し
た、お客様からのクレーム、心の中は乱れ、疲れ、ビジョンも理念もおざなりになっ
ていることは良くある事です。だから、たまには仕事の事を忘れ、猫の額、程度の庭
で、花の手入れや、野菜作りに没頭する、また田舎へ帰る事がある。しかし私の場合
は、一日程度なら良いが、3日ともなると、頭の中は浦島太郎の如く、数字の計算能
力は衰えるし、知恵は浮かばなくなるし、浮世離れの状態になる事が多い。心の中で
は現実逃避を求めているのであろう。
しかし、現状、現実は逃避できるほど会社の組織力、人財力、資本力ではない。
いつになったら、ボーッとのんびりとした生活が出来るのであろうか。
一個人のビジョンとして心の中に持ち続け、今日も一日、現実に立ち向かい頑張るし
かない。

投稿者 ohata : 19:15 | コメント (0)

2006年06月02日

「くらべる」道をひらく:松下幸之助著


生まれたときは、透き通るような黒い瞳に、天上天下何ものにも変えがたい宝のしず
くがあふれていたのに、日と共に、年と共に、まわりの諸々と比べられて、誰にくら
べて可愛いとか、賢いとか、偉いとか偉くないとか、比べに比べられる日々が続いて
いく。幼き日でも、学校でも、社会に出ても、一刻も比べられないときはないのであ
る。そんな中で、知らず知らずのうちに、他と比べた自分だけが自分と思い込んで、
おごり、たかぶり、嘆き、沈む。 天上天下、比べるにも比べようのないあの純粋な
自分だけの宝のしずくをどこに見失ったのか。比べつつ歩むのは、一つの新歩でもあ
る。しかし、比べようのない自分を深く見つめて、そこにドッシリ腰をすえて歩むの
も、貴重な進歩を生む。お互いうろたえ傷つけ合うことのない人生を歩むために、せ
めて年の初めだけでも、あの純粋な天与の自分を思い起こす静思の時を持ちたい。

松下幸之助日々の言葉  
「勇気」何度失敗しても、もう一度、の勇気を失わなければ、必ずモノになる。
「創意工夫」お互い日々の生活、仕事に絶えず新鮮な工夫を加え、進歩する日   
   月を送ることが大切である。

「理念と経営」
人間はかってな動物だと思う。他人と比較されて、他人より諸々が良ければ悦に入
り、悪ければ落ち込み、比較されたことに悪意、敵意を持つ事さえある。
誠に身勝手な生き物であると思う。比較される事を毛嫌いしながら、しかし自らの心
の中には、ライバル、競争相手、競合他社がツイツイ気になる。世間の批評がなけれ
ば、いくら正しい考え方をもって事に挑んでも、正誤の判断はつかない。だから、比
較される事を恐れない度量を持たなければならないと思う。
他人は他人、自分は自分、他社は他社とはいっては見たものの、やはり自分、自社の
現状、現実を認識する為にも、「素直な心」で他人の諫言が聞ける自分になる努力を
絶えずしておこうと思う。可能思考力、ビジョン力、構想力は大事だけれど、それの
みでは、机上論の経営になる恐れは充分にある。やはり白い杖を携えて歩く、目の見
えない人の歩みの如くバランス経営に、特に私のような経営者は気をつけねばなら無
いと自らに誓う。

投稿者 ohata : 19:14 | コメント (0)

2006年06月01日

「心の力」道をひらく:松下幸之助著

ウルシにかぶれやすい人がいる。その人に眼をつぶってもらって、柿の葉でサラサラ
と手をなで「ウルシの葉にさわったよ」と言う。と、たちまち全身にかぶれの現象起
こってきて、その人はもがき苦しむという。心に思ったことが、そのまま形に現れて
くる一つの例であろう。心の作用というものは不思議なものである。なせばなる、と
いうことも、ならぬは人のなさぬなりけり、ということも、単に精神主義とだけでは
片付けられない人間の本質の一面をついているように思われる。この不思議な心の作
用も、昨今のようにこうも物が豊富になってくると、いつしか物のみにもたれてし
まって、心の力が力として働いてこないようになりがちである。いうなれば喪心であ
る。 心があって物があって、その力が物を支配して、はじめて人としての真の豊か
さ生まれてくる。物心一如か心物一如か、いずれにしてもせっかくこの人間の力を、
もっともっと認識し直したい。この年の初めに、シャンとしてもう一度考え直してみ
たい。

松下幸之助日々の言葉  
他人の昇進」他人の昇進、成功に拍手をおくる素直な心を持ち、日々の仕事に生命を
かけて打ち込む、それが出来る人に適当な処遇をしない職場があろうか。

「理念と経営」
管理、どうも管理という言葉を我社の社員さんは、人を縛る言葉のように解釈する人
が多い。私の解釈は、管理とは人を幸せにする、理念、ビジョンを実現する為の手
段、方法と考えます。人の心は縛ったように管理者が思っていたとしても、心の中ま
では縛れていない、むしろ反感、反発をもつのが人の心であると思う。やはり、人生
目標、夢、ビジョンに気付いてもらう、その目的、目標のずれを修正して、自立、自
発、自主、自然性を育む為にとの管理者の正義が必要と思う。時として我社のような
販売会社は、毎日の売上高が目標となり、客単価でその日の目標を達成しようとする
人が多い、それではその日は暮らせても、未来ビジョンの実現は無い。やはり客数増
で売上を造らなければならない。客単価重視の売り方は、一攫千金に等しい、艱難辛
苦しながらコツコツ真面目に、一軒一軒を訪問して、体験、経験を積み重ね、実績を
創り上げた人でなければ、本当の報恩感謝の心は生まれない、そのような仕事をする
社風に創り上げる為に、管理監督者が存在するのである。どうも売上偏重の管理者が
多いことが気になる。

投稿者 ohata : 19:14 | コメント (0)