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2006年05月26日
「指導者の条件」人心の妙味に思う:松下幸之助翁著
「あるがままに認める」
「指導者は人、物すべてをあるがままにみとめなくてはならない。」
聖徳太子のつくられた17条憲法の第一条に「和を以って、貴しとなす。さからうこと
無きを、宗とせよ。人みな党あり---」とある。人みな党あり、というのは、人間と
いうものは、必ずグループ、党派をなすものだということであろう。
それが人間の本質だと太子は見抜いておられたのだと思う。たしかに、人間のあつま
るところ、大小の別はあっても、必ずグループ、党派があると言っていい。そういう
ものが自然にできてくるわけである。けれども、そうしたグループ、党派というもの
が全体の運営の上で弊害をなす場合が少なくない。特に昨今、派閥と呼ばれるものに
はその傾向が強い。そういうところから、派閥解消、ということがさかんにいわれ、
色々と努力もされているが、そのわりにはあまり効果が上がらないのが実情のようで
ある。これは、結局派閥をつくるのは人間の本質であり、派閥をなくすことは不可能
だからではないだろうか。つまり、派閥というものは無くせるものでなく、その存在
を認めた上で、活用、善用すべきものだと思う。そのことを太子は言っておられるわ
けで、だから、和を以って貴しとなす----派閥だけの利害に囚われず全体の調和を大
切にしなさいと言われたのではないだろうか。これが太子の偉大なところだと思う。
人間の本質というものは変えることが出来ない。それを変えようと色々と努力するこ
とは無理である。というより、人間自身を苦しめることになる。だから、その本質は
これをあるがままにみとめなくてはならない。そして、その上でどう在るべきか、と
いうことを考える。それが大切なわけである。これは人間に限らず、ものごとすべて
についていえることであろぅ。けれども実際なかなかそれができない。ともすれば、
好きだとか嫌いだとかいった感情や、自分の利害にとらわれてものごとを都合のいい
ように見てしまう。そうなると、真実と離れた姿しか見られないということになる。
それでは正しい判断もできないし、ことをあやまる結果になってしまう。だから指導
者たるものは、出来る限り囚われを排して、ものごとをあるがままに見るようにつと
めなければならない。
そうしたあるがままの認識があって、はじめて適切な指導も生まれてくることを銘記
すべきだと思う。
「理念と経営」
木野先生から、松下幸之助翁は、物事を良い方に解釈され容認されたと聴いた。
しかし、私は容認したいけれど、中々それは難しく出来ない。
創業者、経営者、全ての責任者、チョツトした判断、決意、決断ミスで、人、物、
金、全てを失ってしまう可能性がある。
もちろん自らに火の粉が及ぶし、社員さんの生活、取引先に迷惑をかけてしまう恐れ
が充分に考えられる、だから、人、物、資金のダム造りが求められる。
しかし、そんな簡単にダムは出来るものではない。また出来たらできたで、失いたく
なるのも凡人の世の常。私如きの零細企業は悩み、迷いと呉越同舟の旅人である。そ
んな心境の経営者の私は、衆知を集める経営、世の為、人のため、地域に存在価値あ
る企業づくりを叫んでみても、チャンチャラ可笑しい。
それでも、ビジョンを心の支えにして、外部環境、社内の強弱、ダムの水量を掌握し
て、目の見えない人の如く、一歩づつ着実に経営の目的に向かって歩を進めたい。現
状を正面から、視る、聞く、受け入れる、容認できるようにダム式経営を何としても
成し遂げる決意である。「二度とない人生」過去に後悔なし。
投稿者 ohata : 2006年05月26日 19:09