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2006年05月31日

「天与の妙味」道をひらく:松下幸之助著


砂糖は甘く、塩はからい。全くの正反対。だから、甘くするためには砂糖さえあれば
よいので、塩は不用のように思えるけれど、その正反対の塩を少し入れることによっ
て、砂糖の甘さはさらに深みを増す。正反対の調和から生まれた新しい味である。天
与の妙味である。われに対立するものは、すべて拝したい。押しのけたい。われさえ
あればよいと願う。これは一つの人情でもある。排しても排しきれず、押しのけても
押しのけきれないままに、心を痛め、悩みを深める。本来、排せるものでなく、拝す
べきでないものを排しようとしているからである。対立大いに結構、正反対大いに結
構。これも一つの自然の理ではないか。対立あればこその我であり、正反対あればこ
その深みである。妙味である。だから排することに心を労するよりも、これを如何に
受け入れ、これと如何に調和するかに、心を労したい。そこに、さらに新しい天与の
妙味が生まれてくる。日々新たな道がひらけてくる。

松下幸之助日々の言葉 
「正義感」矢面に立つ、そんな気持ちの中から生まれる正義感が、
 大事においてもうろたえない人をつくる。
「人材」立派な歴史伝統を持つ会社でも人を得なければ徐々に衰微する。
 歴史伝統を生かすのも人である。

「理念と経営」
理解力のある人、無い人。以心伝心で伝わる人。打てば響く人。ツーと言えばカーと
解る人、何度も何度も言わなければ理解できない人、波長が合う人合わない人、腹の
たつ人、心穏やかにさせてくれる人。いろんな人が会社の中には在籍する。人間一長
一短がある。だけと望むべきは、自分の言いたいこと、やりたい事を、いち早く感じ
取ってくれる人が一番望ましい。しかし松下幸之助翁は、そんな人材ばかりでは会社
が危ういと云われている。そんな言葉を素直に解釈できるような大人物になりたい。
良く考えてみたら、それは一方的に、捉われた、物の見方、考え方に通じるし、衆知
経営にはつながらないと思う。
得た人材を活かしきる経営とは、こんな事にも通じるのかと思う。
正誤、善悪、その判断基準は、松下幸之助翁の、「世間は正しいと思おうよ」が、結
局最後の判断基準なのかな。

投稿者 ohata : 19:12 | コメント (0)

2006年05月30日

「完全無欠」道をひらく:松下幸之助著


完全無欠ということは、これ以上望めないほどに好ましいことではあるけれど、
この完全無欠な状態を、お互い人間に求めることは、まず不可能である。人間個々は
そんなに完全にはつくられていない。だから、その考えること、なすことに、どこか
欠けることがあったとしても、一応はやむを得ない事と素直に理解し合わねばなるま
い。この素直な理解があれば、おのずから謙虚な気持ちも生まれてくるし、人を許す
心も生まれてくる。そして、互いに足らざるを補い合うという協力の姿も生まれてく
るであろう。人はとかく、己の考え、なすことを完全無欠と錯覚し、自らを一人高し
として、他にもその完全無欠を求めんとしがちである。しかしそこに生まれるのは、
いたずらな対立といさかいと、そして破綻だけでだけであろう。完全無欠でないから
こそ、調和が必要なのである。この道理の中に、繁栄への一つの道がひそんでいるの
ではあるまいか。

松下幸之助日々の言葉 
「衆知」衆知によって物事を判断し、過ちなくやっていくところに
人間としての真の価値が生まれる。
「仕事の与え方」仕事を担当する以上は、その仕事に関連する人に一種の感銘を与え
るような仕事をしなければいけない。

「理念と経営」
最近自分自身に感じる事は、自分自身が完全で無いにも関わらず、完全無欠を他人に
求めるところがある事に気付く。
日創研のカリキュラム、田舞塾、ビジョンツアー、その他色々な機会に木野先生を通
じ松下光之助翁の思想、心情、生き方、考え方に接し、また「理念と経営」の冊子を
通じ、MAST、WILL、CAN、DOOが、勉強の機会、社内、家庭内で強く出すぎるところが
ある。自分自身の経営、態度、行動、能力の現状認識も出来ていないにも関わらず、
どうも他人に押し付けているのではないかと自己反省、これは迷いか、悩みかどちら
か解らない。こんな人間の事を松下幸之助翁は戒めて言われたのであろうと思う。真
剣に苦言を呈してくれる、叱ってくれる、戒めてくれる、学びの友、同志を本当に
持っていなければ、経営が危ぶまれると真剣に時として考える。松下幸之助翁が云わ
れている、寛厳宜しくを、得るとはこの事かも知れない。

投稿者 ohata : 19:12 | コメント (0)

2006年05月29日

「初心」道をひらく:松下幸之助著

幼き日、まだ西も東もわからぬころ、優しい母からは時には厳しく、厳しい父からは
時には優しく、箸の持ち方から靴の履き方まで、手に手をとって教えてもらった。時
には喧嘩をしながらも兄から教えてもらったこともあるし、姉に導かれたこともあ
る。小学校の先生からも隣のおばさんからも、時にのぞみ折にふれて、色々のことを
教えられ、それを素直に聞きつつ、また自分でも考え、そして次第に成長していっ
た。密林の中で、動物に育てられた人間の子は、動物みたいなふるまいになっていた
という実例があったけれども、有難いことにお互い人間の中に生まれ育てられ、たく
さんの人々の教えや導きを受けつつ、人間として成長してきたのである。それがいつ
の間にか、他人の言をおろそかにするようになる。われ成長せりと思うからだろうけ
れども、どんなに成長しても、他人の言うことに耳を傾ける心を失ったら、それはも
はや自分を失うことにもなりかねない。 初心にかえる、とは、あの幼き日、人に教
えられ人に導かれていたあの頃の、あの素直な心を取り戻すことではあるまいか。

松下幸之助日々の言葉 
「成功と失敗」原因はすべてわれにありという思いに徹してこそ、失敗の経験も生か
され成功への道が開ける。


「経費」人々が僅か、僅かと思いつつ支出する経費の集積ほど恐ろしいものは  な
い。

「理念と経営」
今思えば、「積小為大」が多少は理解できる年齢、立場になった。
私は、会社勤めをした時に、随分と貯金をしなさいと口うるさいほど言われた事を思
い出す。その時は、返事はすれども馬の耳に念仏の自分であった。
毎月1000円を一年積み立てれば、1年間で12000円、それなら毎月貯金をしなくても、
12月に12000円すれば一応帳尻は合う。そんな心であった事を思い出す。しかしこの
歳になって、やっと意味が理解できる事がある。
松下幸之助翁の云われている、ダム式経営も相、通じる事であるのではないでしょう
か。利益が出なければ貯える事は出来ない、だから仕方が無いと諦めるのでは無く、
絶えず資源(人、物、金)のダム、危機意識を持って経営に当れとの先人の戒め言い伝
えであると思います。二宮金次郎の「積小為大」もこの事を指していると思う。経営
者は愚者の境地で「学びのダム」即ち継続して学び続けなくては21世紀の生存し続け
る会社を創造することは出来ないと思います。「理念と経営」を社内、社外、地域に
普及しようではありませんか。

投稿者 ohata : 19:11 | コメント (0)

2006年05月28日

「出処進退」道をひらく:松下幸之助著

日本古来の武士道については、いろいろと解釈もあろうけれど、
これはつまり要するに、人間の出処進退の真髄を教えたものであると思う。
やってはならんときには、やってはならん、そして、やらねばならんときには、
断固としてやるー―これがつまり武士道というものなのである。
お互いわが身がかわいいから、自分の利害得失について敏感であるのは当たり前であ
るけれど、しかし、わが身の利害得失のみで是非善悪を論じ、出処進退を決するなら
ば、これは動物と、大して変わりないことになる。
いつもそうであれとは言わないけれど、やらねばならんときには、一身の利害を第二
にして、一つの強い使命感のもとに、断固としてやる。また、やっていけないときに
は、たとえ面目がつぶれても、毅然としてやらない、それが出来るところに人間とし
ての一つの尊さがあるのである。利害、面目を超越して、常に真実に立ち、真実に直
面して事を進めていくという心構えが大事なのである。お互い弱い人間であるけれ
ど、折にふれてこういう反省も加えてみたい。

松下幸之助翁、日々の言葉  
「余裕」身の危険を忘れて夢中になる、その状態までいってなお心に
 余裕を持つことが大事。
「部下」非常に働きのある立派な仕事をする部下も大切だが、愚痴をうまく聞   
     いてくれる部下もまた大切である。

「理念と経営」
理念、ビジョン、目的、価値観の共有は、言うは易し、行うは中々難しい。
生まれ、育ち、学校、宗教、宗派、事ほど育ってきた環境が違うために、道徳感、倫
理観、人生の価値観、そこから派生する、仕事観、人間観、各人各様の人生目的があ
る。そんな多様な人間集団が、会社であると思う。
過去なら情報量も情報のスピードも違い、三日、三月、三年、石の上にも三年
我慢、辛抱するのやで、と親に教えられ、社会とは何たるか、仕事とは何たるかも知
らずに会社に入り、先輩、上司から教えられ、体験、経験を通して身につけ、自分で
感じて仕事に没頭してきたが、現代社会は、男女異質を忘れて男女平等声高々に叫
び、人権、権利、を主張して、自己優先の自己実現を唱え、国家までが世論に左右さ
れて、日本人の良き、祖先崇拝、年長者をいたわる、思いやる、年長者から体験、経
験を学ぶ事を否定するような政策になってきている様な気がする(人間は苦より楽を
選択する生き物、苦が楽を得る為に通らねばならない道)。どちらかと云えば、ウザ
イ、シッコイ、ウルサイと否定的に受け取る世の中になってしまい、そんな環境で
育った若者の心を、社会秩序を維持するための、道徳観、倫理観、会社の理念、目
的、方針を肯定的に受け取らせる事は至難の業である。「理念と経営」の月刊誌はこ
のためにも、いま一度経営者も目を通し、感じ、気付き、明徳を明らかにした経営を
目指さなければならないと思う。

投稿者 ohata : 19:16 | コメント (0)

2006年05月27日

「人類の経営」道はひらく:松下幸之助著

経営という言葉を聞くと、何かすぐに事業経営、会社経営という イメージが浮かんできて、だから経営というのは事業経営者がやるもので、我々には直接縁のないもの、そんな思いになりがちである。
だがしかし、経営、というのを辞書で見てみると、こう書いてある。
規模を定め、基礎を立てて物事を営むこと、これが第一義で、工夫をこらして物事を営むこと、これが第二義、つまり経営というのは、人間が活動するところ必ずなければならぬもので、大きくは国家経営から各種の団体経営。政党も経営が必要なら労働組合も経営が必要。寺院、教会も経営を忘れてはその活動を続けることはできない。家庭の経営もまた然りである。さらには、一人ひとりの人生を歩むこと、これも経営であり、つまりは誰もが経営に縁があるということであろう。これは洋の東西、思想の如何を問わないが、それにしても激動しつつある昨今の世界を思うとき、人類の経営というべきものにも、時には思いをひそめてみたい気がする。
============松下幸之助  日々の言葉。==================
「天分」
天は二物を与えない。しかし一物は与えてくれる。その一物を大事に育て上げることである。
「技術者の心得」
開発にあたる技術者自身が、市場をある程度肌で知っていなければ、生きた製品は生み出せない。


「理念と経営」
昨日の朝礼で、会社の理念、目的、ビジョンの共有を社員さんに理解していだくのに、綱引きを例に話してみた。
綱引きに参加するためには、選手がいる、選手集めは社員さんの求人に当ると思う、社員さんに、会社の目的(理念)、目標を、伝え浸透をはかり、戦略、戦術を衆知を集め検討する、そして相手の戦力、戦術の仮説を立て、更に自社の強み、弱みを検討する、そして初めて勝負挑む、商売であれば市場に挑むのである。しかし一気に攻め落とせる時もあれば、相手の反抗をこうむる時もある。
だから、自分の戦力を絶えず見ながら、時には耐え、時には引き、ジワリジワリと此方に引き込み、相手の戦闘意識を奪う作戦が必要と思う。商売も、綱引きも、あい通じる所があると私は思います。経営資源(金、人、商品、信用)がない事を充分に認識して、ビジョンの実現を何としても果たす意気込みだけは
誰よりも強くありたい。

投稿者 ohata : 19:10 | コメント (0)

2006年05月26日

「指導者の条件」人心の妙味に思う:松下幸之助翁著

「あるがままに認める」 
「指導者は人、物すべてをあるがままにみとめなくてはならない。」
聖徳太子のつくられた17条憲法の第一条に「和を以って、貴しとなす。さからうこと
無きを、宗とせよ。人みな党あり---」とある。人みな党あり、というのは、人間と
いうものは、必ずグループ、党派をなすものだということであろう。
それが人間の本質だと太子は見抜いておられたのだと思う。たしかに、人間のあつま
るところ、大小の別はあっても、必ずグループ、党派があると言っていい。そういう
ものが自然にできてくるわけである。けれども、そうしたグループ、党派というもの
が全体の運営の上で弊害をなす場合が少なくない。特に昨今、派閥と呼ばれるものに
はその傾向が強い。そういうところから、派閥解消、ということがさかんにいわれ、
色々と努力もされているが、そのわりにはあまり効果が上がらないのが実情のようで
ある。これは、結局派閥をつくるのは人間の本質であり、派閥をなくすことは不可能
だからではないだろうか。つまり、派閥というものは無くせるものでなく、その存在
を認めた上で、活用、善用すべきものだと思う。そのことを太子は言っておられるわ
けで、だから、和を以って貴しとなす----派閥だけの利害に囚われず全体の調和を大
切にしなさいと言われたのではないだろうか。これが太子の偉大なところだと思う。
人間の本質というものは変えることが出来ない。それを変えようと色々と努力するこ
とは無理である。というより、人間自身を苦しめることになる。だから、その本質は
これをあるがままにみとめなくてはならない。そして、その上でどう在るべきか、と
いうことを考える。それが大切なわけである。これは人間に限らず、ものごとすべて
についていえることであろぅ。けれども実際なかなかそれができない。ともすれば、
好きだとか嫌いだとかいった感情や、自分の利害にとらわれてものごとを都合のいい
ように見てしまう。そうなると、真実と離れた姿しか見られないということになる。
それでは正しい判断もできないし、ことをあやまる結果になってしまう。だから指導
者たるものは、出来る限り囚われを排して、ものごとをあるがままに見るようにつと
めなければならない。
そうしたあるがままの認識があって、はじめて適切な指導も生まれてくることを銘記
すべきだと思う。

「理念と経営」
木野先生から、松下幸之助翁は、物事を良い方に解釈され容認されたと聴いた。
しかし、私は容認したいけれど、中々それは難しく出来ない。
創業者、経営者、全ての責任者、チョツトした判断、決意、決断ミスで、人、物、
金、全てを失ってしまう可能性がある。
もちろん自らに火の粉が及ぶし、社員さんの生活、取引先に迷惑をかけてしまう恐れ
が充分に考えられる、だから、人、物、資金のダム造りが求められる。
しかし、そんな簡単にダムは出来るものではない。また出来たらできたで、失いたく
なるのも凡人の世の常。私如きの零細企業は悩み、迷いと呉越同舟の旅人である。そ
んな心境の経営者の私は、衆知を集める経営、世の為、人のため、地域に存在価値あ
る企業づくりを叫んでみても、チャンチャラ可笑しい。
それでも、ビジョンを心の支えにして、外部環境、社内の強弱、ダムの水量を掌握し
て、目の見えない人の如く、一歩づつ着実に経営の目的に向かって歩を進めたい。現
状を正面から、視る、聞く、受け入れる、容認できるようにダム式経営を何としても
成し遂げる決意である。「二度とない人生」過去に後悔なし。

投稿者 ohata : 19:09 | コメント (0)

2006年05月25日

松下幸之助日々の言葉


「生き方」
誤解されたと必要以上に心をわずらわすより、これを自らの反省の機会としたい。
「不景気」
不景気だからといって悲観する必要はない。仕事を止める必要もない。だが走ると危
険、速足程度で。

「理念と経営」
誤解を与えたり、曲解されればなんで解ってくれないのだろうと、時として腹が立
つ、だから真意を正しく伝え誤解を取り除かなければならないと思う。しかしそんな
事ばかりを気にしていては身も心も持たない。
普段の態度、行動、言動が、言行一致であればそんな風に受け取られる事も無いので
はないだろうか。絶えず自らが素直な心で、教えを請う、素直に述べる、
解らぬ事は知ったかぶりをせずに、人様に聞く、愚者の心境で居る事だと思う。
しかし人間年齢を重ねれば重ねるほどに、プライド、見栄、自負心が身体を包み込
み、自己開示が出来ないものである。社内、社外、経営に当っても、自分一人で出来
る事は高々しれている。叡智、衆知を集める為には、人間として、経営者として目的
を定め、裸になることだと思う。そこに真の協力者が現れるのではないだろうか。マ
ダマダ自分は鎧兜を被っていると思う。

投稿者 ohata : 19:07 | コメント (0)

2006年05月24日

「くらべる」 道はひらける:松下幸之助翁著より

生まれたときは、透き通るような黒い瞳に、天上天下何ものにも変えがたい宝のしず
くがあふれていたのに、日とともに年とともに、まわりの諸々と比べられて、誰にく
らべて可愛いとか、賢いとか、偉いとか偉くないとか、比べに比べられる日々が続い
ていく。 幼き日でも、学校でも、社会に出ても、一刻も比べられないときはないの
である。 そんな中で、知らず知らずのうちに、他と比べた自分だけが自分と思い込
んで、おごり、たかぶり、嘆き、沈む。 天上天下、比べるにも比べようのないあの
純粋な自分だけの宝のしずくをどこに見失ったのか。比べつつ歩むのは、一つの新歩
でもある。しかし、比べようのない自分を深く見つめて、そこにドッシリ腰をすえて
歩むのも、貴重な進歩を生む。 お互いうろたえ傷つけ合うことのない人生を歩むた
めに、あの純粋な天与の自分を思い起こす静思の時を持ちたい。

「理念と経営」
庭先に一ヶ月前にホームセンターから向日葵の花の種を買ってきて蒔いた、一つの袋
に15粒くらいの種が入っていた、それを同じ土のところに、同じように
種を蒔き、同じように水を与え、同じように肥料を与え、同じように太陽が当るよう
な条件を与えているにも関わらず、何故か、新芽出方が違う。成長の遅い向日葵はい
ずれ間引かれる運命にある。同じように手入れをしても、違いが顕著に出てくる。同
じ花から採取した種でも、やはり成長思考、生存欲、生命力、種族継承意欲の強い花
が大きく花開くのであると思う。
この点、人間社会、企業経営にも当てはまると思う。どれだけ素晴らしい環境
資源、ポジション、歴史、、勉強の機会、財力があったとしても、それを生かしきれ
なけれは、それは宝の持ち腐り、ようは目的、目標をしっかりと心に持ち、未来を見
据えて現状に即した行動をしているかで、人生は決すると思う。

投稿者 ohata : 19:05 | コメント (0)